【いきさつ】今回、バジリカータ州観光局から全面的な取材へのご協力をいただき、マテーラを拠点に、3泊4日間で、バジリカータ州の魅力を大いに掘り下げてほしいというミッションをいただいた。
序章 マグナグラエキアを縦断する:カラーブリアからバジリカータへ
2024年11月13日、 私は、バジリカータ州のメタポントを目指して、カラーブリア州のチロ・マリーナを昼前に発とうとしていた。
イタリアの国鉄トレニタリアが運航する長距離バスで、シーバリに向かうのだ。鉄道会社がバスを走らせるのはちょっと意外だが、クルマ以外の移動手段の需要があるのだ。
とはいえ、まず、バス停の位置が定まっていないのには参った。時計を見ると、バスの出発時間を指している。私はすでに乗り遅れたのかと半分青ざめパニック状態となった。
私の出発をわざわざ見送りにきてくれた、チロのカンティーナでお世話になったAVITAのラウラと、MAXのシェフ、サルヴァトーレが、携帯電話アプリのWhatsAppで連絡を取り合っている。「きっとまだバスの到着は遅れているだけよ」とラウラ。「すべての車はここを通るはずだから」とサルヴァトーレ。ふたりはさすがに地元民らしく冷静だが、私は気が気ではない。乗り遅れたら、丸一日ロスすることになりかねない。最悪の場合、タクシーをどう呼ぶのだろう?だが、マグナグラエキアの女神は私たちに微笑んだ。ふたりの運転する2台の車と携帯電話を駆使し、奇跡の連携プレーで、とうとうバスを捕まえた。
「ここがいつもの長距離バスの発着所だ」という、大型スーパーマーケット脇の駐車場ではなく、正解は、駅前の道路脇だった。それも駅の建物からゆうに200メートルは離れていて、駅前と言えるか、ギリギリの場所だが・・・。むろん、停留所のサインなど無い。
こういうおおらかでアバウトな部分が、まあイタリアではよくある。仕方がないとわかっていても、個人旅行者にとっては、不安の種で、いっぽ間違えると命取りだ。すぐに改善されることを願う。チロはワインの産地としては歴史も古く、世界的に有名だが、実際に個人観光客の移動と言う観点では、エノツーリズムは、まだはじまったばかりなのだ。
私のようなイタリアワインを愛する個人旅行者を、エノツーリストと呼ぶならば、エノツーリストがマグナグラエキアのワイン産地を縦横にめぐれるように、カラーブリア、バジリカータの地方都市が公共交通で広域で結ばれ、自由自在に移動できるようになる日も、もうまもなくのことかもしれない。いや、そうなって欲しい。伸びしろは十分にあるのだから。
クロトーネ空港からチロへは、AVITAのフランチェスコ氏とラウラさんのご好意で、今回は車で移動した。
チロからシーバリ経由でメタポントを目指す。主要鉄道路線は、ティレニア海側を通り、シーバリで合流する。
プロの観光ガイドのすごさ
チロ・マリーナは、カラーブリアとバジリカータを結ぶ主要な鉄道路線からはずれた、「飛び地」のような場所だ。古代は、海が移動の主な手段であったが、やがて植民地の小さな都市が増えてくるに連れて、都市と都市を結ぶ道ができたのだろう。鉄道は近代に設置されワインを運んでいた。現代では、レッジョ・カラーブリアからターラントまでを結ぶ、主要路線からはずれてしまった憂き目を補うために、このマニアックなバス路線があるのだ。
それを調べてくれたのは、ドーラさん。バジリカータ公認ガイドのミケーレ氏の妹だ。兄とともに会社を切り盛りしているしっかり者だ。
インターネットのプラットフォームがいくら便利になったからと言って、外国人がすべてを網羅して調べられるものではない。ちなみに私の場合は、イタリアでも使えるアプリとして、英国発のTrainLineというアプリを乗り継ぎ検索のために愛用しているが、この南の旅では、ほとんど役に立たなかった。
その点、現地のプロのガイドならではの経験測と、何より、人が調べてくれ、本当にその便があるかどうか確認してくれる安心感は、何ものにも代えがたいものだ。そして、いざというとき、その時可能な代替案を提案できるのも人しかできないサービスだ。その意味で、旅行ガイドという仕事は、旅行者が人間である以上、いくらAIが発達しても、無くなることはないのだろう。
シーバリ駅に到着
カラーブリアのシーバリ駅前は、駅に商業施設が極端に集中する日本とは異なり、24時間ストア(といっても、日本のコンビニではなく、自販機だけが何台も置いてある不思議な店でイタリアで急増している)があるのみ。駅はひっそりとしている。
旅の途中にバールでエスプレッソかオレンジのスプレムータで一息いれたかったが諦めた。でも、そのぶん駅員さんはとても親切で、私が乗るべき列車のプラットフォームへの行き方をちゃんと教えてくれた。プラットフォームは真新しい、明るくきれいな地下道でつながっていて、大きなスーツケースを持つ旅行者や、車いすやベビーカーを想定してなのか、長い長いスロープがついていた。
プラットフォームには、駅前とは打って変わって、驚くほどたくさんの人びとが列車を待っていた。ほどなく、滑り込んできた列車は、最新モデルのインターシティ(急行列車)だった。
まず、プラットフォームとの境目を補うステップが車両本体から自動で伸びてくるのに驚いた。日本でも、バスは見たことがあるが、列車はない。次に、あまりの内装のおしゃれさに言葉を失った。木目調の床、明るいグリーン色のシート。また木目調の折り畳みテーブル。ピカピカのステンレスの荷物置き場。椅子はちょっと高めに宙に浮いている(ように見える)。その浮いた座席と座席の隙間にスーツケースをすっぽり納めることができる。
モニターはすべてリアルタイムで列車の位置を地図で指し示してくれる。何よりも清掃がバッチリ行き届いている。ゴミ一つ落ちていない。しかも、飲み物やスナックの自動販売機まである。バールが要らないわけだ。
25年前、バックパッカーの旅行者で、インターシティの古ぼけた6人掛けのコンパートメントを乗り継いだ者にとっては、2025年を素通りして、2030年の未来に来てしまったような気がした。イタリアの特に南部は、いままさに観光開発の波を逃すまいと、目覚ましいスピードで刻々と変化しているのだ。
車窓の右を見れば、美しい海岸線が大きな湾曲を描いて、曇り空の下で、少しトーンダウンしてペールがかったエメラルドグリーンの海の色が眼に優しく飛び込んでくる。車内はそれほど混んでいない。
みっつ先の座席では、上品なマダムが携帯を真剣に覗き込んでいる。映画でも見ているのだろうか。私はまだ列車の内装に興奮して、あっちの風景、こっちの風景を写真に撮ろうと車内を歩き回り、自分の世界に没頭していた。 すると一時間足らずで、あっという間にメタポントに着いた。正直、この最新列車にもう少し乗っていたかったが、いまは降りるほかない。
メタポントで降りたのは私ひとりと数人の客。プラットフォームで、男性と目があった。「きみが芙紗子さん?」「あっ!はい、そうです!」電車は定刻のはずだが、わざわざ迎えに来てくれたのだ。知らない駅で右も左も分からないので、正直かなりほっとした。
バジリカータ州の海岸沿いの古代都市メタポントには、紀元前6世紀のギリシア植民市時代に建てられた、ヘラ神殿がある。ちょっとでも見られるかどうか、ミケーレ氏に聞いてみた。「この近くだから、10分くらいなら立ち寄れるよ」と心よい返事。何という幸運だろう。日本では、違う国(州)に来たら、一宮(いちのみや)と呼ばれる神社の氏神を参拝する風習があるが、ヘラ神殿は、まさにバジリカータの海の入口であり、私にとっての、まさに一宮となったのだった。(次回につづく)
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