【いきさつ】今回、バジリカータ州観光局から全面的な取材へのご協力をいただき、マテーラを拠点に、3泊4日間で、バジリカータ州の魅力を大いに掘り下げてほしいというミッションをいただいた。
私が旅人としてイタリアに通い始めてから、およそ四半世紀が経つ。だが、バジリカータ州に足を運ぶのは実は今回が初めてである。まだ見ぬバジリカータの風景に、期待に胸が膨らむ。
マテーラの夜景 photo(c)2024 Fusako Sakurai
バジリカータ州は、古代はルカニアと呼ばれた地域である。古代ルカニアは、現在のバジリカータ州をすっぽり内包し、現在のカンパーニア州やカラーブリア州の一部を含む、比較的、広いエリアのことを指していた。
東西ローマ帝国への分裂後、10世紀に、東ローマのビザンツ帝国の支配下となったときに、皇帝バシレウスの名前からとられたという説が有力である。(その間も、帝国の地区としてはルカニアと呼ばれていたらしい)
そのあと、再び近代(1932年から47年の短い間)にルカニアと呼ばれた時期もあったが、イタリアの州が制定されたとき、あらためてバジリカータ州という地名に戻った。だから、ルカニアとバジリカータはいずれもこの地域に暮らす人びとの共通のアイデンティティなのである。(ルカニアの地名の起源については、諸説あるので、あらためて別の記事で書いてみようと思う)
今回、私の取材にあたりガイドを勤めてくれた、プロのガイド兼ドライバーのミケーレ氏は、生粋のマテーラ人であり、細かいところまで非常に良く気がつく人で、私の興味関心に沿った内容の解説をしてくれる、頼もしい相棒になってくれた。ミケーレ氏のおかげで、当初は想像もできなかった体験をすることができたと言って良い。
旅の相棒 ミケーレ氏 photo(c)2024 Fusako Sakurai
マテーラ 満月の夜 photo(c)2024 Fusako Sakurai
しかし、私自身、バジリカータ州について全く予備知識がなかった訳ではない。なぜなら、コロナ禍の2021年に、私たち『イタリアワイン文化講座(ACCVI)』のなかで、バジリカータ州のヴルトゥレ山のワインで最も歴史ある生産者のひとつ、パテルノステル社をオンラインで取材するなかで、創業家の人々にじかに話を伺う機会をいただいたからだ。
だからこそ、このワインの霊峰、ヴルトゥレ山を訪問できることは、私にとっては無上の喜びであり、そのスケールを実際に体感できるまたとない機会となった。
山頂に雲を抱いたヴルトゥレ山を、メルフィ城から望む photo(c)2024 Fusako Sakurai
ヴルトゥレ山は、カンパーニア州との州境にもほど近い休火山であり、アペニンプレートをはじめ、イタリア半島を形成するいくつものプレートがぶつかってできた、その存在自体が他に類のない、珍しい火山なのである。
ヴルトゥレ山は、古代から、黒葡萄のアリアニコ種の優れた苗が発達したことで知られており、銘醸地としての名声を古くから誇ってきた。確たる証拠こそ、まだ見つかっていないものの、おそらくカンパーニア州のアリアニコよりも、はるかに古い歴史を持っていると、ルカニアの人々は、(大声では言わないものの)、心の中で強い自負がある。
収穫後に熟れたアリアニコの実
photo(c)2024 Fusako Sakurai
それはなぜか?ルカニアの葡萄栽培醸造を担っていた、エノトリアの人びとのことを、念頭においているからである。エノトリアの人びとは、ギリシア人がイタリア半島に上陸する前に、すでにルカニアの地に暮らしていた先住民を意味する。
従来の説では、葡萄栽培醸造はギリシア人がもたらしたということになっていたが、現在ではその説明だけでは片手落ちというべきで、バジリカータ州のアリアニコのワインのアイデンティティは、ギリシアの植民都市時代よりも、さらに古い時代を希求しているのである。
それでは、バジリカータ州の魅力を、風景と食とワインをもとに、紐解いていこう。
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