【いきさつ】今回、バジリカータ州観光局から全面的な取材へのご協力をいただき、マテーラを拠点に、3泊4日間で、バジリカータ州の魅力を大いに掘り下げてほしいというミッションをいただいた。
ミケーレ氏の運転で、メタポントからマテーラを目指して車でおよそ40分。車窓に見える景色は、沿岸部の柑橘や植木の苗の畑がえんえんと続く。この果樹や植木の苗は、バジリカータの重要な農業の六次産業だという。土がよほど肥えていないとできない。ルカニアがいかに肥沃な大地であるか分かる。
内陸の山から、無数の河川が、悠久の流れを経て、イオニア海にたどり着く場所。それが古代ルカニアの時代から続く、バジリカータの豊かさを支えている。
いつの間にか、車は平野部からバセント渓谷を遡上していた。それにつれて、広大な小麦畑と、ダイナミックな渓谷の眺めに変わった。かなり切り立った丘の頂上まで畑がある。どれだけの年月、ルカニアの人びとは、この大地を耕してきたのか。
この雄大な小麦畑は、バセント渓谷のもうひとつの原風景である。それに、バジリカータの有名なパンや、フェンネルシードを練りこんだ、タラッリという香り豊かな乾パンは、この小麦の美味しさが決め手となる。バジリカータのパンの美味しさは、有名だ。
古代ルカニア、バジリカータ州の豊穣の地
マテーラの街はずれに着き、そこで車を乗りかえる。旧市街(チェントロ)に入るためには、ホテルのリムジンに乗り換える必要があるからだ。イタリアの都市の多くは、チェントロの交通量を抑制するため、車両を厳しく規制している。「夕方、街歩きの案内に迎えに行くから、また後でね」と、ミケーレ氏とはそこで別れた。待機していた別の運転手さんが、今回の滞在先、パラッツォ・ガッティーニに連れて行ってくれた。
マテーラでも随一の5ツ星ホテル、パラッツォ ガッティーニの建物は、マテーラの貴族で最も重要な、伯爵家コンティ・ガッティーニが住んでいた、非常に優雅な宮殿だ。マテーラのドゥオモの一角にあり、ひときわ美しいマテーラの洞窟住居(サッシ)のひとつ、サッソ・バリサーノの雄大な眺めを望むことができる。
夏の夜は、サッシの夜景を眺めながら、ここでアペリティーボや食事を楽しめる。
この日は雨が降ったばかりで、少し寒い日だった。
テラコッタのプーモ(おまもり)に、隣のプーリア州の影響を感じる。
長い年月が削り取った渓谷を利用して、先史時代から人が住んできた。
サッソ・バリサーノの洞窟住居の眺め
現在のホテルは、18世紀に建てられた宮殿だった部分で、長い修復作業を経て、高級ホテルへと再生された。イタリアの重要なデザイナー・建築家で、2023年に惜しまれながら亡くなった、故エットレ・モケッティによる、慎重さと大胆さのメリハリのある設計と、洗練された上品なデザインは、歴史ある建物の内部を、モダンで斬新に見せる工夫が随所にほどこされている。
マテーラの石(マッツァロ Il mazzaro)は、世界遺産に登録された、マテーラのサッシの洞窟住居と同じ素材である。色はというと、たとえばプーリアの白いレッチェ石と比べると、いくぶん温かみのあるクリーム色で、光の当て方によって、グラデーションがあり、柔らかく親密な雰囲気を作り出している。黒い調度品とのコントラストが美しい。
居室のコーナーのデザイン
窓の景色にドゥオモが見える豪華な寝室
調度品はすべてバジリカータの職人によるもの。いずれも上品で、シックで、温もりがある。マッツァロの石灰岩のクリーム色とは対照的に、印象的な赤いチェック柄のカーテンの色は、伯爵家の人びとが、好んで身に着けていたであろう、豪華な衣装から、インスピレーションを受けている。
エットレ・モケッティは、世界的に有名な建築・インテリア雑誌、アーキテクチャル・ダイジェストのイタリア版を創刊し、編集長を長年の間、つとめていた。このホテルに滞在すれば、エットレがイタリアの歴史的建造物と、コンテンポラリーなデザインを、どのように融合させようとしたのか?その仕事を随所に見ることができる。
マテーラのマッツァロ石のグラデーションを活かしたシックなバスルーム
アメニティはイタリア製のこだわり
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